ありふれた、とてもありふれた、ありふれた人間のありふれたエッセイ。

 

自分の書きたい事を書きます。

 

私にはお金が必要です。

 

お金がなければ自立できません。

 

自立できなければ自宅にい続けなければなりません。

 

あるいは追い出されるでしょう。

 

働くとはそうならない為の手段です。

 

私は人間を恐れてます。

 

身近にいる最も近しい存在は他の周囲の全ての印象を決める大きな影響です。

 

正直今までの記事というのは人の注目を集める為、それを意識して書いてました。

 

自分のやりたいことって何だろう?

 

それはお金という手段にすり替えられ、必死でした。

 

お金あってこそ初めて一人の自分として生きられる。

 

そう感じてます。

 

お金を抑えてもそれなりにやれることはあります。

 

図書館とかいくらでも無料で本を貸し出せます。

 

他は何があるでしょう?

 

少しだけお金を使っていいのなら無料の見たい放題のアプリを使います。

 

それでもなんだか物足りなくなる時があります。

そういう時は散歩でしょうか?

 

旅行とか行った事のないワクワクするような場所に行くのならそれなりのお金が必要になるので私がいつも踏みしめるのは毎日のように同じ風景です。

 

私の人間関係はほぼありません。

 

たまに相談に市役所に行く事があり、ごくたまに昔の知り合いがなぜだか自宅に訪れます。

 

話せる内容はかなり限られてます。

 

共有するものが少ないだけ沈黙も深まります。

 

なので私は基本一人でいます。

 

本と向き合う時間は次第に人生を覆うようになり、そして以前より世界が広く狭く尖りつつあります。

 

感情より、論理、過ぎ去っていく一色の世界。

 

通り過ぎた記憶は存在もしなかったように年だけは加算されていく。

 

孤独は私を賢くした面があり、そして孤独を教えてくれた。

 

安定に胡坐をかいて安定に怯える日々。

 

私の世界に新たなる感激を与えるのは何だろうか?

 

そうだ、あまり期待しないほうが楽に生きられる。

 

そう学んできたじゃないか。

 

踏み外さない無味乾燥である事が素晴らしいのだと教わってきたじゃないか。

 

それが身に付いてるだけなんだ。

 

この乾きに堪えられない。

 

こらえるんだ、我慢するんだ。

 

そこにあるスマホや本は私の乾きを癒してくれる可能性を求めてまた同じことを思うんだ。

 

心。

 

それはいつの日か何度も置いてきたもの。

 

美化してるのは知ってる。

 

ないほうがいいんだって思ってたもの。

 

それなのに苦しみを伴う刺激に恐怖しながら私はどうすればいいのだ。

 

触れたくても今までなんども傷ばかりだったではないか。

 

分かり切ってるから触れたくても触れられない。

 

いつからなんでも分かった気になってしまったのだろう。

 

これは成長と言えば良いのか?

 

救いを求める心がどれほど悪魔を呼び寄せるかを知ってる今では更に私が求めるものが分からなくなっている。

 

何を動力源にしているのだろう。

 

熱のある何かを求めていた気がする。

 

それは過去だ。

 

今は生きる為。

 

10年後の自分が今より豊かである為に。

 

心を体が追い越して指示通りに動き続ける。

 

今はどこにある。

 

10年後の自分に今はあるだろうか?

 

今をしっかりと見れるだろうか?

 

今を今見ればいいじゃないかという現実は何を見ればよいのだ?

 

見ないのは自分を守っているんだ。

 

俺は誰なんだ。

 

こんな事を何百何万、あるいは何億と同じような思いを抱える人間がいるのだろう。

 

何も特別でない。

 

この高尚と思える本気はそこらへんに転がっているんだ。

 

そうか。

 

いっそ眠りについていつまでも夢の中で冒険を続けられればいいのに眠れる気がしない。

 

なあ、どうすればいいんだ画面の向こうの俺。