真面目であることは素晴らしい事でしょうか?
私はずっと真面目を素晴らしい事と思い、真面目であることに人生をささげていたようなものです。
真面目教として出来る限りの親切を考え、人の為世の為正義の為、と生きて来た人間。
私は報われるべき存在だと生きた結果、外ずらは最高にいい子ちゃんでしたが家庭内の弱い立場である母や兄弟には強気で酷い事をしまくってました。
そうです。
真面目というのは自分に正直でなく、卑怯者であるからこそ、自分がリスクを感じる事には手を付けない代わりにリスクのない所では調子に乗るものです。
真面目とはそういう物です。
ルールに従ってるという最大の防御を借りてそれを自分の力と勘違いしたいだけであって自主性がないのです。
時としてNOという事が非行に思われたり、なんなんだと思われることもあるでしょう。
それが出来ない人は変な所でNOを連発しているだけです。
NOと言うべきところでNOと言える。
それが正直者の生き方であり、姑息な真面目とは大きく違うところです。
私は正直でありたいです。
不真面目でも私が機嫌よく生きられればそれでよいのです。
自分の面倒はちゃんと面倒見るので人に八つ当たりはしません。
それが正直者の生き方です。
真面目な日本人はネットで意味の分からない嘲笑や煽りが多く、その民度の低さは最近では海外でも有名になっています。
真面目さという光の部分だけにスポットを当ててきましたが最近になって真面目さのダークな部分に気付き始めてる人は多いのではないかと思います。