雑記マスター

自分はお金持ちになる運命にあります。来年内に億単位の金額を手にします。

僕のいる世界はとても小さい

分かったようで何もわかっていない。

これはどんな天才にでもいえる一つの真理だと言える。

周囲を大きく眺められる人はその一つ一つの細かいところまで見ることはできないし、一つの事には他の追随を許さないなんて人はその他の事には全く目が届いていなかったりする。

頭のいい人は一つ一つの事を正確に捉えることが出来るけど同時に盲点が多いらしい。

これは上記した内容を裏付けている。

 

何でも分かった気でいる人は自分を小さい箱の中に閉じ込めている。

彼にとっての世界とは自分の部屋の中で、家の外の世界は偽物だと言っているようなものだ。

外に出るのが怖いのだろう。

家の外にはいろんな人がいるがその多くは理解不能だ。

一つ一つ調べてもきりがないし、インタビューしようものならノリのいい大阪人はともかく東京の人間からは相手にされない可能性も大きい。

そもそも何を聞くというのだろう?

「あなたは何のために生きていますか?」

とでもやっと捕まえた人間に聞いたら回答が返ってくるとも限らない。

それにもし回答が返ってきたとしよう。

「おいしいものを食べるために生きてます」

 

ときたらその人間はおいしい物を食べてないときは生きる意味などないのだろうか?

ますますわからない。

こんな小さな事すら正確に把握できないのに人間には何が分かるのだろう?

真理とは無なのだ。

そう悟った気でいる人間は無というものを誰よりも知っているのか?

その人の体はいま誰にでも見えるはずだがきっとこう答える。

この体は入れ物で本体は魂なんだ。

では魂は存在するのか?

存在しているならそれは無ではないしなおさら生身の体だけの人間は無ではないのではないかとなる。

こうやって屁理屈こねてると自分は誰よりも知った気でいる人間に対してより上にいる物知りのような気がしてならない高揚感が得られるが、俺は何を知っている?

何も知ってはいない。

おかしいな。

人に戯れてばかりいる人間よりなんだか科学者とか数学者のほうが高尚な気がするけど、人によっては頭が固そうな知識人を下に見ている人がいないとも言えない。

どうやっても本当の意味で人の上に立てる気がしない。

雑魚は戯れるのが動物の真理だが、人間の場合、組織は強い。

いくら強い人でも固まった雑魚相手に歯が立たない事が多い。

そもそも相手にしないのだが。

けど確実に人に階級を感じる事はある。

人望、知恵、身体能力、体格、オーラ(雰囲気)など目に見える形でそれを実感するそれなりに同じ認識を他の人間も持っている。

どうやって折り合いを付ければよいのか分からなくなる。

見えている強さにくじけそうになった時に人間は想像力を駆り立てて妄想に逃げるという考えもできる。

しかしながら実際に目に見えるだけが強さでない。

分からないものを求め続けるのが暇を持て余した人類に与えられた生きる意味なのだととりあえずそういうことにしている。