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ひとりでも割と平気で生きている

一人で出来る事を追求しています。映画や小説など新しい何かに触れて新鮮さを大事にしてます。アマゾンアソシエイト参加してます。

自分から愛する事がなければ人は廃人となる。

こんにちは。

今回は愛についてのテーマです。

愛って誰にでもあるんでしょう?

とか、必ず誰かに対しての愛情は持ち合わせているはずだとか思う人はいると思います。

長い人生の中で一度も愛情を抱かなかった人はいるのかどうか自分でも疑問です。

精神疾患を患っている人が身近にいる人なら感じていると思いますが、彼らは多くの場合、愛情を向ける対象が不安定だったり喪失していたりします。

愛情はもらい受ける事で満たされる部分をありますが、貰うばかりではなく普通は与えたくもなります。

もしも愛されている人がいたとしても相手のことを愛する対象として見ることができなければ満たされません。

逆に愛を拒絶する方が何もない時よりつらいと思います。

僕は愛情を向けていた人間に裏切られて精神疾患を患いました。

もう誰も愛する事が出来ないと思ったからです。

人を愛さない人生とは周りは敵だらけです。

弱肉強食の世界で、捕食されないように神経消耗していました。

その間に相手に対しては心を完全に捨てた冷血漢になったのではなく、人と衝突しないように、息抜きになるようにその場限りで優しく振舞ったことがありました。

相手を選ばない余裕のない優しさは結構な確率で裏切りで返されます。

世の中には相手の弱みに付け込んでくる人間と思いやりのある人間がいます。

余裕がない時に愛情を向ける相手は選んだほうが良いというのは僕の持論です。

 

その時はどうやったら相手に愛されるのかそのことばかりで頭がいっぱいで、相手になめられたりする事が多かった為に更なる人間不信を抱くという悪循環に嵌っていました。

当時の一年はとても長いようで短いようで、記憶に定着している内容は殆どありません。

その代わりにブランクの空白期間だけ自分の頭の中に空白ができたような感じです。

精神疾患でありながらこの長い期間を足をたたいてでも頑張るよりは、自分のつっかえている部分と向き合って、もっと早く回復出来ていれば周囲の人間を巻き込んで苦しめたりなどしなかったなと思います。

僕がつまずいたのは信用しなければならない人を疑った事です。

愛するべき人間を無視して気持ちに蓋をしていました。

今思うとその人がとても愛くるしくてしょうがなくなり蓋をして閉じ込めて機能していなかった部分が戻ってきた心地よい気分でした。

ちゃんと失ってはいなかったのだと。

このまま更に何年も過ごせば早いうちから病気にでもかかって死んでいたような気がします。

それは日ごろから望んでいたことがやっと実現したとでも言いますか。

病は気からと言われる通り、体を蝕むのは自分の意識です。

けど、一度きりの自分の人生やるべきことは沢山あるのではないですか?

どうせ死ぬのならば少しでもやり残す事を減らして楽にあの世へ行けた方が良いではないですか。