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より良く生きる

オナ禁など禁欲生活をしています。事の本質を見極めてどうすれば人は心地よくいられるのかそんな事を考えてます。

ロマンチストに生きるって苦しい。

平凡に暮らして生活が安定している。

それでも何かが足りない。

「幸せって何なのだろう」って俺に聞いてくる知り合いがいた。

正直言うとめんどくさいのである。

けどあの頃はちゃんと彼の言い分にも耳を傾けてあげるべきではなかったのだろうかと思うようになった。

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今では彼の言い分も分からないことはない気がしてきた。

自分が持っていないなにかを持ち合わせている人間の気持ちなど分かるはずもないのだからせめて否定するべきではなかったのかもしれない。

重すぎる場合は適当に笑いとして浄化する手もあった。

人は誰しもバラバラで、細かく分析すると長けてる部分と弱い部分が存在する。

僕は彼の強い部分しか見ていなかった。

よく考えれば僕よりも弱かったのかもしれないのだ。

その彼の弱さが反応してロマンを求める衝動に走らせたのかもしれない。

しかし僕は彼の元を離れた。

彼の悩みなど背負うつもりはなかったし、軽く笑い飛ばせるだけの器量がなかった。

僕もまた自分の器量のなさという弱さを自覚して、ロマンを芸術に求めるようになった。

普通に上っ面の会話を楽しめる人間がいるが、僕にはその良さがわからない。

劣等感を抱いていた時期もあったが今では理解不能の同じ人間であって性質の違う何かだと思うようになった。

多くの人間に触れるというのは新鮮さを損なわずに鬱々とした僕なんかより生き生きとした生活ができると思う。

そこで僕はこう考えている。

人が生き生きとしているのは本能に基づいている時だ。

本能とは、人と繋がりたい気持ちだとかだけでなく性欲だったり、危険が脅かされている時などリスクがついてくるともいえる状態を含んでいる。

人が生き生きとする上ではこの本能に基づいて集団の中に突っ込む行動はとても魅力的でロマンさえも感じさせる。

なので一概に嫌いではないのだ。

しかし、行き過ぎたロマンはしばしば人を衝突させる。

大きく絶頂を味わったと思えば急降下だ。

この揺れ幅に耐えられない。

僕は刺激を求めたくない人間だ。

例えばジェットコースターだってディズニーランドでほかのみんなが乗る際に僕だけ乗らない選択肢を取る人間だ。

これは実際の出来事だ。

こんな人間一緒にいても楽しくはないし人が離れてしまう。

それで構わない、みんな離れてしまえ。

 

困った人間だなと自分でも思う。

刺激へは飛び込めないけれど退屈だから色々と暇つぶし方みたいなのを考えるようになる。

幼き頃は絵を描いていた。

ある時には賞も貰ったし、また近所にある児童館でドッヂボールが流行っていたので自分はそのとりこになった。

自己表現が苦手な僕は、物を通じてならなぜだか人と繋がれる。

得意分野に限っては。

僕は人に固執しない代わりに物に固執した。

次第に芸術や文学作品にまで興味をもって分からなくてつまらなそうだった作品に対しても理解を深めた。

人に直接ロマンを求めるのは怖いけど物を通じてなら僕と似ている人と繋がれる気がした。

お互いに不器用だからこういう形でしか表せないんだろうなとか勝手に思っているけど作者からしたら「お前何言ってんの?」とか気持ち悪がられそうだからやはり直接出会いたいとは思わない。

ロマンチストとは芸術肌で器用に見える反面不器用なのかもしれない。

そうでないように見える人だって必死に人を追いかけている。

人は何かロマンを求めて生きているのかもしれない。

このくだらない何もない世界だけど、昔は苦しみと退屈しか僕には与えてくれない残酷な世界だと思っていた。

今では苦しみと残酷と同時に喜びも与えてくれていたよなって思えるのでこの世界が愛らしく思えてきた。

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