読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひとりでも割と平気で生きている

一人で出来る事を追求しています。映画や小説など新しい何かに触れて新鮮さを大事にしてます。アマゾンアソシエイト参加してます。

結局居場所なんてどこにもない。

自分の居場所はどこにあるのだろうか?

居心地の良い場所があったとする。

そこには断固として変化がないなんてありえない。

僕達が暮らしている四次元空間ではめまぐるしく視野や聴覚などの五感から情報が入ってきて防ぐ方法はない。

今と言う時間は一瞬で通り過ぎ、新たな今となっては通り過ぎていく。

場所によって違うのは、そこの変化が激しいのか穏やかなのかそれだけである。

はなっから機嫌の悪い場所には近づかずに居心地の良い場所を求めて移動するのが人間に出来る手段だ。

あえて苦手な場所であろうが慣れる人間がいて、心地よさに気づかずにその場を捨ててしまう人もいる。

後悔したってしょうがない。

今は過ぎてまた新しい今を後悔に費やすつもりだろうか?

再度言うが、人間に出来る事は場所を変えるのみだ。

場所とは実際に本人が物理的に動き回るに限らず、今で言えばどのメディアに触れるのか?

という意味も含んでいる。

技術は進歩して、人間ばかりに時間を割くとも言えなくなってきた。

寧ろ対人の存在しない情報に触れる機会が増えてきている。

自らが動き回らなくても手軽にグーグルでカタカタ検索すれば向こう側からいくらでも情報の波が押し寄せてくる。

何でも調べれば自由に選べる立場においても多くの人は何らかの括りに固執している。

一言でメディアとはいえ多様性は無限大である。

今でもものすごい勢いで膨張し続けている。

何でも知り尽くしていた気が、実は一部しか見ていない。

いくらでもアンテナを張り替える事が可能になっていても本人には見てきたものしか見えない。

メディアはそれこそ人間そのものではないのだけど作り上げているのは人間なのだから、そこで周りの付き合いをする人間を変える手段が大きく影響する。

人間もまたメディアとして情報を発信する一部であり、そこから発信される情報には自身の手を加えるのが不可能なので、今までに興味を持たなかった新鮮なジャンルに触れるキッカケになる。

そうして触れてきた情報の集合体が人間なのではないだろうか?

なので、今存在する自分自身とはその都度どこに所属していたかなのであり、型としてはまるべき場所とは存在しない。

型にはまった人間はただそこに長くいるだけであってそこが決して居場所として存在し続けるとは限らない。

結果論で、長い事所属していた場所の事を居場所だと認識している人もいるが、それは単に変化を望まずに保守的になっているに過ぎない。