読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひとりでも割と平気で生きている

一人で出来る事を追求しています。映画や小説など新しい何かに触れて新鮮さを大事にしてます。アマゾンアソシエイト参加してます。

周りの人間が怖くてしょうがない人へ。

まず、怖い人間はいる。

けれど、ほとんどの人間は怖くない。

人はたくさんの顔を持っているし、これを見ているあなただって色んな顔があるでしょう?

できるだけプラスの顔を意識した方がプラスの人間は集まってくるし、逆にマイナスだと見たくないものをたくさん見てしまう。

同じ世界に生きているのに人それぞれ全く違う世界を見ているなんて不思議だよね。

僕は数十年間を幼少期のトラウマを引きずってマイナスを引き寄せてしまっていた。

周囲の人間全員が敵に見えて人の発する咳だとか鼻をすする音だとかそんな些細なことを恐怖していた。

けどね。

今見ている世界はどちらかといえば平和だ。

毎日がゆったりとくつろげる。

相変わらず怖い人はいるんだけど、顔を見れば見分けがつくようになって、そういう人がいる場所には留まらなくなったし、いたとしても存在に振り回されなくなった。

だってよく考えたら自分と関係ない人は関係ないでしょ。

人の顔色うかがうなんて事やめて付き合いたい人としか付き合わないし、相手が何かを求めるなら与えるようにしている。

与えたら少しは自分に返ってくるからね。

少なくとも自分の気分が良くなる。

そうでないならする気はない。

男の場合なんか得に性欲に振り回されて相手に思いやり持てないって時があると思うんだけど豆乳やノコギリヤシで男性ホルモン抑えて対策すれば抑えられる。

禁欲は大事だよ。

オナニーなんてしたらその快楽分だけ人に当たり散らかし、自分もその返り血を浴びる事になる。

 

 

人って自分が持っている感情しか読み取れないから自分が相手に嫌なことをしたり、普段からあらさがしばかりしているとやられたときに相手を傷付けた分だけ苦しいし、じゃなくても自分を相手を通じて攻撃する。

被害妄想という形で大切な人間も傷つける。

逆に言えば自分に悪意を持って攻撃してくる人間は同じ思いをどこかで経験する。

放置すれば自滅するから近づかない。

悪気がなくてそういうことする人間には怒りを伝えるべきだ。

 

悩みがあったら悩むことをやめればいい。

苫米地英人という天才脳科学者の本だけどなかなかおもしろいし、楽になる。

 

もうこれ以上、人間関係で悩まない極意 ─今こそ、「縁起人」として生きろ。─

もうこれ以上、人間関係で悩まない極意 ─今こそ、「縁起人」として生きろ。─

 

 世の中って自分が複雑にしてしまうのだけど、単純だよね。

赤ちゃんの頃のころから大人怖いって人はいないでしょ?

助け求められなかったら死んじゃうでしょ。

けど大人になったらとりあえず生きていけるけど人に助けを求められなくて心が死んじゃう人がいる。

 

赤ちゃんは常に汚れがない状態で人に接するから面倒見ている方が癒されるからみんなに愛されるよね。

人が怖いって人はどこかのタイミングでつまずいて元には戻れないと思っている。

そんなことなかったよ僕の場合。

優しくなれない人は優しくなる気がないだろうからそういう人とは離れて、やっぱり優しさを知っている人間といた方が心地いいよね。

<script type="text/javascript">amazon_ad_tag ="hiroki345602-22"; amazon_ad_width ="300"; amazon_ad_height ="250"; </script><script src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/s/ads.js"></script>

<script type="text/javascript">amazon_ad_tag ="hiroki345602-22"; amazon_ad_width ="300"; amazon_ad_height ="250"; </script><script src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/s/ads.js"></script>

 

 

 

 

 

 

 

禁欲は素晴らしい。禁欲して気付いた事。

僕は禁欲を意識し始めてからかれこれ数年が経過している。

禁欲するのは食欲や怠け欲、性欲だったりする。

勿論人によってはやり過ぎで良くない場合もある。

しかし、やり過ぎってくらいに禁欲してる人はなんだか手の届かない存在に成長していたりする。

人は禁欲によって成長すると言えるが、何でも我慢すると解釈すべきではない。

どうせやるなら楽しい方がいいに決まっている。

意外かも知れないが、僕の中でアニメ鑑賞だって有意義に時間を過ごしているとカウントしてる。

アニメはつまらない作品をわざわざ見ようと思わないので面白いと思うのを見ている。

読書や映画だって有意義な時間だ。

何でも一つのことにこだわりすぎるのは良くないので色んな楽しいと思えることに挑戦している。

その為に禁欲している。

 

何故禁欲に繋がるのか。

人はプラマイゼロで出来ていると思う。

ある程度の格差は存在するがそれを受け入れた上での話だ。

禁欲が出来なければ欲に溺れる。

食事や性欲などだ。

特に性欲には気を付けてほしい。

オナ禁という言葉がネットで溢れている通り、性欲の力は偉大故に放出する際には快感以上のリスクを伴う。

そこで気を付けてほしいのは、性欲で得られる快感は一瞬であることに対してその後訪れる不愉快はめちゃくちゃに長い。

性欲に対して他の欲を一括にしても敵わない位だと体感している。

ていうか性欲を抑えられなかった途端にその他の欲が急激に抑えられなくなる。

基本的に欲は連動すると思う。

その中でも性欲は断トツに大きな影響力を誇っている。

 

禁欲について、始める際におすすめなのは目的を決める事だ。

何も考えずにただ単に禁欲してたら苦しいだけで辛くなる。

苦しくても成長を伴うと理解していればその苦しみすら有り難くなる。

目的を達成する上での禁欲は必要不可欠だ。目的があるから禁欲するというか、目的をこなそうと必死になれば自然と禁欲が出来るようになっている。

目的ありきの禁欲をすると良いだろう。

涙腺崩壊「あの日見た花の名前をぼくたちはまだ知らない。」感想

 

 名前すごく長いですよね。

一般的には「あの花」と呼ばれることが多いそうですが、タイトルには仕掛けがあって斜め読みができます。

興味があれば探してみてください。

といってもすぐに見つかります(笑)。

この話の肝はめんまちゃんです。

 

 

 

主人公はどうやら不登校で、ゲームばかりやってぐーたらしてますがさりげなく白髪の女の子めんまがさりげなく自然と絡んできます。

絵的にはオタクアニメみたいな感じで僕には疎い内容ではないかと思ったのですがそんなことはない感動作でした。

あの世界観が心地よすぎる為か、めんまちゃんのイラストが見る度に好きになりましたね。

ストーリーがお涙ちょうだい系でストーリーのキャラクター個人個人の純粋な葛藤が良く描かれているので多く層からの支持を集めました。

 

※以下ネタばれ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンマは主人公にしか見えません。

なのでめんまと会話すれば完全に一人芝居です。

このめんまが中心となって周囲の主要人物たちを引き付けていきます。

めんまは主人公の知っている人物でした。

子供の時に死んでいます。

仁太は最初は自分が作り上げた幻覚だと思っていましたが次第にその存在を認めてめんまの存在には何か意味があるのではないかと思い始めます。

めんまの死因は数々の原因が偶然積み重なって出来た物ですが、当時のは「平和バスターズ」というグループで主人公の仁太はその中のリーダーでした。

めんまの死以降、グループは解散してバラバラになり、それぞれに自分の人生を歩み始めますがめんまの登場以降、「平和バスターズ」が再び集まります。

当時と変わらないぽっぽ(久川)もいれば、ゆきあつ(松雪)の様に実力をつけて態度が冷たくなったメンバーもいる。

みんなして昔の記憶からめんまの存在が色濃く残っている。

何故ならめんまが事故死する直前までグループ内は乱れていてアナル(最初聞いたときはありえないと思ったけど本名は安城 鳴子)の発言などによりめんまを傷つけ最悪の状態だったので無理はないと思います。

因みにめんまの姿は成長していますが中身は死んだときのままなので言動に幼さがあります。

仁太は平和バスターズの仲間にめんまの存在を打ち明けますがぽっぽ以外はなかなか信じてはもらえません。

特にめんまの話を出すと、めんまの事が好きだったゆきあつにとっては不満です。

仁太にライバル心を持っているゆきあつは学歴、容姿共に仁太を上回るのですが、めんまは仁太の所に現れたと聞くと、過去と同様にめんまに好かれる仁太にコンプレックスを抱きます。

めんまの存在は物体を物理的に動かせる事から認知するのですが、めんまを成仏する為にめんまの願いを叶えようとします。

めんまは仁太を泣かせることが願いでしたが、なかなか成仏しません。

そして、メンバーはそれぞれの中に、めんまに対して消えてもらった方が好都合だとか内心そう思っている節があって、そこで過去の出来事について整理します。

本来の願いは仁太を泣かせることだったのですが、仲間に手紙を書いて成仏した後には紫陽花が咲いていました。

紫陽花の花言葉は強いつながりです。

そこから平和バスターズが再び仲良くすることを願っていたのではないかと読み取れます。

 

感想

思いのほかまじめに見てしまいました。

アニメの中でもこれほど世界観に没頭したのは稀で、これほど入り込んだのは過去に見た作品の中で一番だと思います。

テンポが良くて、本当に流れるかのように全11話を一つの長編アニメの様に見ていました。

アニメ特有の尺取りうざさがないですし、見ていて爽快でしたね。

個人的に絵も好きでした。

こんな夢中になれる世界って良いですよね。

ただの夢物語ではなくて、現実世界の厳しさをさりげなく挟むことによって儚い限りある綺麗な世界がより際立って尊く思います。

下品な女子高生にありがちな軽率で理不尽な態度だったりとかこそこそしているご近所さんだとか何もしなくても時間は通り過ぎてゆく残酷さなど身に染みる描写が一つ一つ生生しくて、あえてその不愉快を演出することで自然と入ってしまいますね。

うれしい気持ちよりも深層にある掘り起こしたくない思い出の方が強く反応するんですね。

それが必ずしもマイナスにばかり左右するかといえばそうでもなくて、終わったことなのだからあの頃こういう事があったな程度に思い起こせば普通に生活できることがどれほど恵まれているのかを実感できます。

若いころは何もかもが新鮮で素直で尖っています。

そのせいで大きい傷を負ってしまったりもしましたが、大人に近づくと今度は感情を隠すように丸くなって自分が何を考えてるのかわからなくてなんで生きているのかで悩むようになりました。

主人公と自分は同世代であり、その大人と子供の境界線という多感な感性にシンパシーを感じました。

その内に今考えてるようなことを若気の至りとして方つけてしまえるようになるのが怖いです。

それでも僕もみんなも大人になります。

引きこもりの主人公もバイトして働くようになってそうやって社会に出てゆく。

社会に出れば仲間たちとは離れ離れです。

不安しかなくて苦しい時期なのですが、それがまた心地よい一瞬の輝きを放っているかのような時期で僕の中ではこの時期に感じる感性こそが一番ごちゃごちゃして面白いのではないかと思っています。

そういうのをしっかりと体現してくれる清々しい最高のアニメでした。

 

おもいでのケータイ 今週のお題

特別お題「おもいでのケータイ」

今週のお題は思い出の携帯だって。

どうする?

いや、書くことないっていうか携帯殆ど持っていないに等しい訳だし。

んじゃ、終わりにするか。

…。

それはないよね。

うん。

それはない。

はてなブログのお題って書こうと思うと大体自分に該当しないんだけど、俺は何かずれてるの?変態なの?

思い出の携帯が書けないなら思い出のあの子とかにする?

ちょっと切ないよな。

じゃあ思い出の○ーニーの感想今更だけど書く?

趣旨全然違うよな。

どこいったよ。ケータイは。

話題付いてけない時は無理してでも付け足さないと尺持たないよね。

中身スッカスカなのは俺が悪いんじゃない。

この世にケータイがあるからいけない。

ケータイ持ってたとしても対して思い入れないよきっと。

手汗多くてゴメンネとか、ア○プル君、君はとても画面が割れやすいよね。
 
とでも言えと?

では恐らくその内さよならしなければいけないiphone6君に一言。

「新しいのに一目惚れしたら君を捨てるかもしれない。
その時まで中古としての価値を保つように大事にするよ。
充電切れの君を何度も探し回ったり、アプリゲームにどハマりしたり、僕の中では君と大切な時間を潰した思い出がたくさん詰まっているよ。
今までに結婚しようとか罵詈雑言飛ばしてたのあれは全部本気じゃないから。
siriへの好奇心だから。
君が思い出になる頃には新型の新しいのが手元にあるはずだからとても楽しみにしているよ。」


sponsored by KDDI

通りすがりの人間をジロジロと見る人。

誰だって知らない人にガン見されて、しかも話のネタにされたらいい気分にはならない。

だから俺はその人間に憤慨して今度はこちらが話のネタにしてやろうと思ったのだ。

にしても何で見てくるのだろうな。

顔にそんなに目のつくゴミがあるのなら指摘してくれたっていいと思うし、好きなら照れちゃうじゃないか。

 

基本的に接点のない人を見るのは失礼だと思うんだ。

ただそこに居るだけなのにこちらを見る。

こちらに対して用件があるのでしょうか?

 

この見られるという行為においての不快点は相手が何を考えているのか分からないのだ。

こちらをみる女子高生から黄色い歓声を受けたとする。

イケメンならイケメンなのだろう。

それがもしアンガールズの田中ならどうなるのだ。

それは田中でしかない。

どちらも黄色い歓声を得られる。

 

一番解せないのは男(同性)の集団。

人は集団になると急に理性が落ちる。

取り敢えず数で勝っていれば多数決で自分らが正しい世界が作れてしまう。

多数を前にしては彼らの中で常識が通用しなくなる。

誰か一人がこちらを見れば、ペンギンみたいにみんなして一斉にこちらをみる。

数秒間の間、複数の視線を一斉に浴びる一人に対して大勢の人間。

お前ら何なのだ。

俺は普通に歩いているだけだ。

一体何をしたのだ?

その後、クスクスと声が聞こえるが、俺のことでないにしろ気になって腹が立つ。

一人の時間を台無しにされた気分だ。

静かな社会。東京は今日も穏やかだ。

十数年東京で生きてて、僕の近所はかなり静かになった。

この数十年で何が変わったのか?

外から色んなものが消えた。

言い換えれば姿を見かけなくなった。

何が消えたのか具体的にすると、一番は夜な夜な「助けてー!」と叫ぶ様な物騒な奇声がなくなって、駅帰りの酔っぱらいも消えた。

そして車の交通量もかなり減ったし、空気も以前よりはマシだ。

子供は外出しなくなったね。

近くの公園へ行けば、沢山の自転車があって、子供達がワーワー遊んでいた。

最近はあんまり見ない。

僕の場合は親とサッカーしてた覚えがあるのだが、そういう人は見ないね。

身近では関係ないけど、大きなマンションを使って隠れんぼとか鬼ごっこしてた事があってそういうのが好きだった。

また、今の子は外でドロケイとかするのだろうか?

家でいくらでも時間潰せるからわざわざ外行って退屈しのぎする必要がなくなったね。

 

それに共働き世代だからな。

子供連れてるのは母親で、ママ友達が至るところにいたと思うんだけどそれもかなり減ったね。

男が子供引き連れてるのも別に珍しくもなくなった。

親たちはみんな働いてるだろうし、子供は子供で塾にでも行っているのだとすればみんな外で徘徊する余裕もないのだろうな。

お風呂で過ごす時間が殆どの生活。

僕は風呂が大好きなのかもしれない。
自宅にいる半分くらいは浴槽に使っている。
流石に長い事いると湯が冷めてくるし、その都度追い焚きで温度調整をする。
のぼせないように節約も兼ねて半身浴にしている。
ただ、足がふやふやになっておかしくなってはしまわないだろうかとそれだけが心配だ。
事実、上がった時はしわしわでないときはないが今の所大丈夫らしい。
因みに熱湯で長湯し過ぎたときに、足の指がパンパンになったのはやり過ぎかと思った。

風呂で生活するとか変態か?
と思われるかもしれないが、寝る以外の事は大抵風呂場で出来る。
便が湯の上にプカプカさせて遊んだりなんかはしないし、dvdプレイヤーは時々水蒸気で故障仕掛けるのでやめた。
基本的に風呂の蓋を敷いてそれを机代わりに、本を読んだりネットサーフィンしたりする。
何故そんな生活をしているのかと言うと、自然に見に付いてしまった習慣なのだろう。
嫌な事があれば風呂に入れば不思議とネガティブな事を考えない。
風呂にいると頭の中がフワフワして、いい意味で空っぽのまま物事に取り組める。
飲み水と、持ち込み物が汚れないようにタオルをスタンバイすれば後は俺の生活が始まる。
これ以上眠くていられないと思ったり、のぼせてきそうなタイミングで上がることになる。
上がる直前は「上がったら寒いだろうな。」とか「タオルで体ふくのだるいよな。」なんて葛藤が始まるので出ようにも出られない。
これ以上居座ったら命が持たないと悟ったときに初めて本能的に上がるのだ。
冬の間は最悪だ。
カセットコンロがあれば冷えた体を癒してくれるのにと思ったのはほんの数十回どころではない。
物心ついた時から自宅にあるエアコンでは、スイッチを入れてからが遅すぎる。
ヴゥィィーンと鈍い音を発しながら殺気立って体を温めてくれるのを待つ時間はとても腹立たしい。
完全に平和ボケしているが世の中は便利になったものだ。
暖房機器どころか風呂さえも存在せずに嫌々でも変な風習に従わなければならない所だってあるでしょうに。
こんな考えを持ったのは僕が何か文句を言うたびにアフリカの日本とかけ離れすぎている人たちを引き合いに出してきた親の影響である。
普段先進国らしく先端の技術に触れながら申し訳ないと思いながら毎日を生きろとでも?
はた迷惑な話なのだ。
申し訳なさ過ぎて世捨て人になる。
もし、僕が家出をしようものならその親の言葉を引き合いに出して、「浮浪者になって貧しい人の気持ちを理解しに行ってくる」とでも言うかもしれない。
話がそれたけれど、限界まで睡魔とのぼせに耐えきった体はベッドまで直行して心地よく眠りにつくことができる。
僕にとって風呂とは切っても切り離せない存在となっている。