より良く生きる

オナ禁など禁欲生活をしています。事の本質を見極めてどうすれば人は心地よくいられるのかそんな事を考えてます。

禁欲は素晴らしい。禁欲して気付いた事。

僕は禁欲を意識し始めてからかれこれ数年が経過している。

禁欲するのは食欲や怠け欲、性欲だったりする。

勿論人によってはやり過ぎで良くない場合もある。

しかし、やり過ぎってくらいに禁欲してる人はなんだか手の届かない存在に成長していたりする。

人は禁欲によって成長すると言えるが、何でも我慢すると解釈すべきではない。

どうせやるなら楽しい方がいいに決まっている。

意外かも知れないが、僕の中でアニメ鑑賞だって有意義に時間を過ごしているとカウントしてる。

アニメはつまらない作品をわざわざ見ようと思わないので面白いと思うのを見ている。

読書や映画だって有意義な時間だ。

何でも一つのことにこだわりすぎるのは良くないので色んな楽しいと思えることに挑戦している。

その為に禁欲している。

何故禁欲に繋がるのか。

人はプラマイゼロで出来ていると思う。

ある程度の格差は存在するがそれを受け入れた上での話だ。

禁欲が出来なければ欲に溺れる。

食事や性欲などだ。

特に性欲には気を付けてほしい。

オナ禁という言葉がネットで溢れている通り、性欲の力は偉大故に放出する際には快感以上のリスクを伴う。

そこで気を付けてほしいのは、性欲で得られる快感は一瞬であることに対してその後訪れる不愉快はめちゃくちゃに長い。

性欲に対して他の欲を一括にしても敵わない位だと体感している。

ていうか性欲を抑えられなかった途端にその他の欲が急激に抑えられなくなる。

基本的に欲は連動すると思う。

その中でも性欲は断トツに大きな影響力を誇っている。

禁欲について、始める際におすすめなのは目的を決める事だ。

何も考えずにただ単に禁欲してたら苦しいだけで辛くなる。

苦しくても成長を伴うと理解していればその苦しみすら有り難くなる。

目的を達成する上での禁欲は必要不可欠だ。目的があるから禁欲するというか、目的をこなそうと必死になれば自然と禁欲が出来るようになっている。

目的ありきの禁欲をすると良いだろう。

ディアナチュラ亜鉛(60日)

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ロマンチストに生きるって苦しい。

平凡に暮らして生活が安定している。

それでも何かが足りない。

「幸せって何なのだろう」って俺に聞いてくる知り合いがいた。

正直言うとめんどくさいのである。

けどあの頃はちゃんと彼の言い分にも耳を傾けてあげるべきではなかったのだろうかと思うようになった。

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今では彼の言い分も分からないことはない気がしてきた。

自分が持っていないなにかを持ち合わせている人間の気持ちなど分かるはずもないのだからせめて否定するべきではなかったのかもしれない。

重すぎる場合は適当に笑いとして浄化する手もあった。

人は誰しもバラバラで、細かく分析すると長けてる部分と弱い部分が存在する。

僕は彼の強い部分しか見ていなかった。

よく考えれば僕よりも弱かったのかもしれないのだ。

その彼の弱さが反応してロマンを求める衝動に走らせたのかもしれない。

しかし僕は彼の元を離れた。

彼の悩みなど背負うつもりはなかったし、軽く笑い飛ばせるだけの器量がなかった。

僕もまた自分の器量のなさという弱さを自覚して、ロマンを芸術に求めるようになった。

普通に上っ面の会話を楽しめる人間がいるが、僕にはその良さがわからない。

劣等感を抱いていた時期もあったが今では理解不能の同じ人間であって性質の違う何かだと思うようになった。

多くの人間に触れるというのは新鮮さを損なわずに鬱々とした僕なんかより生き生きとした生活ができると思う。

そこで僕はこう考えている。

人が生き生きとしているのは本能に基づいている時だ。

本能とは、人と繋がりたい気持ちだとかだけでなく性欲だったり、危険が脅かされている時などリスクがついてくるともいえる状態を含んでいる。

人が生き生きとする上ではこの本能に基づいて集団の中に突っ込む行動はとても魅力的でロマンさえも感じさせる。

なので一概に嫌いではないのだ。

しかし、行き過ぎたロマンはしばしば人を衝突させる。

大きく絶頂を味わったと思えば急降下だ。

この揺れ幅に耐えられない。

僕は刺激を求めたくない人間だ。

例えばジェットコースターだってディズニーランドでほかのみんなが乗る際に僕だけ乗らない選択肢を取る人間だ。

これは実際の出来事だ。

こんな人間一緒にいても楽しくはないし人が離れてしまう。

それで構わない、みんな離れてしまえ。

 

困った人間だなと自分でも思う。

刺激へは飛び込めないけれど退屈だから色々と暇つぶし方みたいなのを考えるようになる。

幼き頃は絵を描いていた。

ある時には賞も貰ったし、また近所にある児童館でドッヂボールが流行っていたので自分はそのとりこになった。

自己表現が苦手な僕は、物を通じてならなぜだか人と繋がれる。

得意分野に限っては。

僕は人に固執しない代わりに物に固執した。

次第に芸術や文学作品にまで興味をもって分からなくてつまらなそうだった作品に対しても理解を深めた。

人に直接ロマンを求めるのは怖いけど物を通じてなら僕と似ている人と繋がれる気がした。

お互いに不器用だからこういう形でしか表せないんだろうなとか勝手に思っているけど作者からしたら「お前何言ってんの?」とか気持ち悪がられそうだからやはり直接出会いたいとは思わない。

ロマンチストとは芸術肌で器用に見える反面不器用なのかもしれない。

そうでないように見える人だって必死に人を追いかけている。

人は何かロマンを求めて生きているのかもしれない。

このくだらない何もない世界だけど、昔は苦しみと退屈しか僕には与えてくれない残酷な世界だと思っていた。

今では苦しみと残酷と同時に喜びも与えてくれていたよなって思えるのでこの世界が愛らしく思えてきた。

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自由とは終わりのないモヤモヤの連続である。

俺はパソコンの前でキーボードを打ち付けながら何やらもやもやするこの変な感覚を打ち消そうとしていた。

ラジオを垂れ流しにしながら一人の時間を耐える。

何か気を抜けば流れ出してしまいそうなのを必死に抑えてこの先に見えないなにかを予測でもしてこの今から逃げようとしている。

外のみんなは決められたルールに従い各自学校や職場へ足を運ぶ事に精いっぱいだから考えないで決められた消化作業さえこなしていればいい。

僕は何なのだ?

どこにも属していないハブられものじゃないか。

人と人をつなぐ線があるとするなら僕は僕という小さな円でしかないのでどこにも動けない。

一般的には一人から幾つも線が伸びてそこからさらに伸びて最終的には天文学的な複雑さになる。

自由を持っている僕は煩わしい人間関係に嘆いているであろう周囲の人間に対して何か特別感を持っていた。

なぜそんなものにしがみついているのか理解できなかった。

しかし、小さな円の中の自分とは井の中の蛙大海を知らずと何が違うのだろうか?

自分もまた自分という物にしがみついている。

それもとても小さい物に。

こんなに自暴自棄になってしまってはなんだか自尊がなくて苦しいじゃないか。

だから言わせてもらう。

僕は井の中で持て余した時間をもやもやに費やしている間に、他の多くの人間は波に流されてあっち行ったりこっち行ったり忙しすぎて何もかも整理がつかなくなって情報の取捨選択に不自由しているのではないか。

僕は井の中の蛙ではあってもそれは例えで実際は人間だからやれることは沢山ありすぎる。

マンガ読んだり映画見たり小説や少し背伸びをして難しそうな本を手に取ったりするのだ。

美術館や博物館にでも行けるし、さらに言うならお金さえあれば出来ないことは何もない。

勿論、大勢の人間だってマンガ読んだり僕がやることなんて何でもできる。

けど好きな時に好きなものを選択できる点においてはこちらに軍配が上がる。

何かしたくてもその一瞬を大事にできずに冷めてしまったなんてよくあることだ。

だから唯一のこのメリットを最大限に生かすべく、後悔をしない為に思いついたらできれば何でもやってしまう。

そうやって僕は時間つぶしと自尊心を保つためにこのモヤモヤの世界に縛られている。

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ニーチェ先生という漫画を読んでみたので紹介しようと思う。

この漫画は松駒というツイッターアカウントのコンビニの後輩へのつぶやきが面白いと話題になりついには漫画化したというある意味ノンフィクションである。

松駒さんが店員をしていた経験が詰まっているのでコンビニ事情のリアリティーが伝わって面白いです。

 個性的な店員たちがそろっていますが中でも表紙になっている仁井君の客を撃退するという店員らしからぬ対応は見所です。

ギャグ漫画なので一ページ送りでオチがついているので読みやすいです。

トーリー性は皆無ですが、季節ごとの話題だったりキャラクターが次々と増えていきます。

人気が沸騰してドラマ化もしました。

 

Hulu

Hulu

 

 こちらのhuluから見ることができます。

僕は一応全部見ましたが、設定は同じで漫画とは内容が違うので、漫画の延長線上として楽しめました。

むしろ漫画よりこちらのほうが好きでした。

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性欲を捨ててアセクシャルになりたい。

性欲さえなければ。

自分にいつも言い聞かせるように思っている。

性欲ってかなり厄介。

幸せを感じにくい(セロトニン不足)と性欲が高まるらしいんだけど、逆に言えば性欲があれば幸せを感じにくくなるってことで、

 

だったらいらねーじゃんって話で。

憶測だけど、悩んでいる人から性欲取り除いたら大凡9割くらいは悩み吹っ飛ぶと思う。

性欲を消すのによいとされている事をネットの情報をあてにして集めてみた。

 

・水を飲む

・豆乳を飲む

ノコギリヤシサプリ摂取

・ムラムラしたらスクワット十回(運動)

 

確かに効果感じたのはノコギリヤシだった。

他もそれなりに効果あったので順列にするとこんな感じ。

ノコギリヤシ>>>>>運動、豆乳>>水

ノコギリヤシとは育毛サプリメントなんだけどその成分が男性ホルモンを抑えて性欲を消すらしい。

煩悩が一つ減ったすがすがしい気分になるけどデメリットを感じたことはないし、むしろ調子がいい。

 ちなみにこれを使ってる。

意外かもしれないけどアメリカはサプリメント大国だからサプリには厳しいし、日本製より安いうえに質がいいからおすすめする。

海外直送品 Now Foods Saw Palmetto, 90 Sgels 320 mg

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 割とある程度の性欲消すのは簡単だった。

男性(別名野獣)ホルモンを抑えればよいだけだ。

問題点はジャニーズのような中世的な顔になってしまう事だが、個人的に中性的な顔の方が魅力的に思える。

この時代に大人になるまで恋愛はしないほうがいい。

これからの人生を大事に歩んで行きたい人には忠告しておくけど恋愛はリスクが高すぎるので気楽にしないほうがいい。

特に、不安定な人間ほど本来得られるであろう結果に対しての消失は大きいので気を付けてもらいたい。

恋愛の悪いところは、はまるのは簡単で、抜け出すことが自力では不可能な点にある。

俺は今までに人と付き合ったことはないのだが相手から来られた立場だった。

もとから精神不安定な人間なので恋愛へのリスク回避を心得ているつもりだったのにその考えが浅はかで、逃げても逃げても拒絶が伝わらなければ誤解してこじらせてしまうのだ。

相手はかわいいタイプだったのであしらうにしても詰めが甘くなってしまった。

一番ダメな行為は中途半端にしてしまうことだろうなと昔を振り返って今は思う。

受験シーズンのストレスはただでさえ重いのに、恋愛とのダブルパンチを受けてセロトニンが減ってしまう。

セロトニンは脳内物質で幸せを感じさせる作用があるのだが普段は正常に機能しているこの部分が、恋愛や麻薬によって大量に湧き出てしまえばその分枯渇するのである。

快楽にリスクは必ずついてくる。

その一番リスクの高い行為は自慰行為とセックスだ。

一度その快感を味わえばそう簡単には逃れられない地獄が待っている。

セックス経験が早い国ほど成績が低い結果が出ていることもうなずける。

人間にとって一番の敵は異性だと思ってほしい。

どこにでも潜んでいる身近な敵に気を付けてほしい。

学生時代に遊びまわって勝ち組であった人間と愚直に勉強し続けていたがり勉君の立ち位置が大人になって逆転するなんてのは珍しい話ではない。

もちろん賢く楽しめる人間は大人になっても楽しめる勝ち組として居座ることができる。

今自分にすべきことは何なのか?

その一時によってこれからの数十年が決まってしまう世の中の厳しさを立ち止まって冷静に考えるべきだ。

何度も言うが、快楽には必ずリスクがある。

死にたいって思っても殆どの人はどうせ死なないで生きているのだから考えるだけ無駄。

俺は死にたいと一万回くらい思ったことがあるし、口にした回数でいえば他の単語の中でも群を抜いて口ずさんでいる。

起きて何となく「あー、死にたい」

なんで死にたいのか考察するだけ無駄である。

ただなんとなくお腹すいたとか眠いとかと同じで何となく死にたくなるのだからしょうがない。

死にたいといいながら死に直面したら全力で回避する自信がある。

なんで死にたいのに死なないのか、これもまた考察不要である。

本能ですから。

俺はどうせ死なないでしぶとくこれから何十年と生き続けるのだと悟ったときに、「あー、死にたい」とまた言葉にする。

思っても無駄なのでさっさと体動かしたり娯楽で楽しくもないのに楽しいふりをしてみたりする。

檻の中に監禁しているピーちゃんを見て、「お前はピヨピヨしてるだけでいいから楽だよな。」

かという俺は家の中でゴロゴロしてるし、ピーちゃんはピーちゃんで「出ァぁせやゴルァあああああああああ(# ゚Д゚)」

と笑顔でニコニコしてる目の前の巨人に殺気立って自由を訴えているのかもしれない。

他人からしたらその程度にしか感じられないのだ。

死にたいと思いながらもそばに死にたいと思う人間がいたところで俺はきっと洋ドラマの続きが気になってしょうがないだろう。

死にたい人間には興味ない俺だし、死にたい人間からしたらプリズンブレイクのシーズン5が開始される事なんてどうでもいいかもしれない。

なんだか今日は天気がいいな。

どうせ出かけないのだけど。

そういえばこの一瞬は死にたいことが頭から離れた、死にたい。