独断と偏見の心理分析

心理学を独学しています。脳科学にも興味あり。

人に好かれようとすると苦しむ理由。

楽に生きたいなら八方美人にはなるな。

 

これは世の中を上手く渡り合う為の鉄則と思っていい。

 

都合のいい人間と思われたら色々と面倒なものを任される。

 

なら面倒な人間は遠ざければよいのだ。

 

社交辞令で済むものなら距離を詰めなくていい。

 

好かれようとした人間の末路

 

エスキリスト。

 

これは世界一有名な人物ではなかろうか?

 

彼ほどの聖人の右に並ぶ人物と言えば他に知らないのだが、そんな彼を貴方は超える事ができるだろうか?

 

右頬を殴られたら左頬を差し出せみたいなことを言ってる人物だが、私ならまず警察に通報である。

 

そして慰謝料と示談金を請求するだろう。

 

そんな世のため人の為に生きた彼には10人の弟子がいた。

 

そしてその中でイエスを好いていた弟子は二人しかいなかった。

 

そして多くは好きでも嫌いでもなく、一部の弟子はイエスを嫌っていたという。

 

では、そこらのイエスに遠く及びもしない人間は誰からも好かれないのだろうか?

 

そんなわけがない。

 

どうしようもないクズに見える人間でもついていく人間がいたりするのだから。

 

結論

自分の道を歩めば良い。

 

ありふれた、とてもありふれた、ありふれた人間のありふれたエッセイ。

 

自分の書きたい事を書きます。

 

私にはお金が必要です。

 

お金がなければ自立できません。

 

自立できなければ自宅にい続けなければなりません。

 

あるいは追い出されるでしょう。

 

働くとはそうならない為の手段です。

 

私は人間を恐れてます。

 

身近にいる最も近しい存在は他の周囲の全ての印象を決める大きな影響です。

 

正直今までの記事というのは人の注目を集める為、それを意識して書いてました。

 

自分のやりたいことって何だろう?

 

それはお金という手段にすり替えられ、必死でした。

 

お金あってこそ初めて一人の自分として生きられる。

 

そう感じてます。

 

お金を抑えてもそれなりにやれることはあります。

 

図書館とかいくらでも無料で本を貸し出せます。

 

他は何があるでしょう?

 

少しだけお金を使っていいのなら無料の見たい放題のアプリを使います。

 

それでもなんだか物足りなくなる時があります。

そういう時は散歩でしょうか?

 

旅行とか行った事のないワクワクするような場所に行くのならそれなりのお金が必要になるので私がいつも踏みしめるのは毎日のように同じ風景です。

 

私の人間関係はほぼありません。

 

たまに相談に市役所に行く事があり、ごくたまに昔の知り合いがなぜだか自宅に訪れます。

 

話せる内容はかなり限られてます。

 

共有するものが少ないだけ沈黙も深まります。

 

なので私は基本一人でいます。

 

本と向き合う時間は次第に人生を覆うようになり、そして以前より世界が広く狭く尖りつつあります。

 

感情より、論理、過ぎ去っていく一色の世界。

 

通り過ぎた記憶は存在もしなかったように年だけは加算されていく。

 

孤独は私を賢くした面があり、そして孤独を教えてくれた。

 

安定に胡坐をかいて安定に怯える日々。

 

私の世界に新たなる感激を与えるのは何だろうか?

 

そうだ、あまり期待しないほうが楽に生きられる。

 

そう学んできたじゃないか。

 

踏み外さない無味乾燥である事が素晴らしいのだと教わってきたじゃないか。

 

それが身に付いてるだけなんだ。

 

この乾きに堪えられない。

 

こらえるんだ、我慢するんだ。

 

そこにあるスマホや本は私の乾きを癒してくれる可能性を求めてまた同じことを思うんだ。

 

心。

 

それはいつの日か何度も置いてきたもの。

 

美化してるのは知ってる。

 

ないほうがいいんだって思ってたもの。

 

それなのに苦しみを伴う刺激に恐怖しながら私はどうすればいいのだ。

 

触れたくても今までなんども傷ばかりだったではないか。

 

分かり切ってるから触れたくても触れられない。

 

いつからなんでも分かった気になってしまったのだろう。

 

これは成長と言えば良いのか?

 

救いを求める心がどれほど悪魔を呼び寄せるかを知ってる今では更に私が求めるものが分からなくなっている。

 

何を動力源にしているのだろう。

 

熱のある何かを求めていた気がする。

 

それは過去だ。

 

今は生きる為。

 

10年後の自分が今より豊かである為に。

 

心を体が追い越して指示通りに動き続ける。

 

今はどこにある。

 

10年後の自分に今はあるだろうか?

 

今をしっかりと見れるだろうか?

 

今を今見ればいいじゃないかという現実は何を見ればよいのだ?

 

見ないのは自分を守っているんだ。

 

俺は誰なんだ。

 

こんな事を何百何万、あるいは何億と同じような思いを抱える人間がいるのだろう。

 

何も特別でない。

 

この高尚と思える本気はそこらへんに転がっているんだ。

 

そうか。

 

いっそ眠りについていつまでも夢の中で冒険を続けられればいいのに眠れる気がしない。

 

なあ、どうすればいいんだ画面の向こうの俺。

 

真面目はクズである理由。

 

真面目であることは素晴らしい事でしょうか?

 

私はずっと真面目を素晴らしい事と思い、真面目であることに人生をささげていたようなものです。

 

真面目教として出来る限りの親切を考え、人の為世の為正義の為、と生きて来た人間。

 

私は報われるべき存在だと生きた結果、外ずらは最高にいい子ちゃんでしたが家庭内の弱い立場である母や兄弟には強気で酷い事をしまくってました。

 

そうです。

 

真面目というのは自分に正直でなく、卑怯者であるからこそ、自分がリスクを感じる事には手を付けない代わりにリスクのない所では調子に乗るものです。

 

真面目とはそういう物です。

 

ルールに従ってるという最大の防御を借りてそれを自分の力と勘違いしたいだけであって自主性がないのです。

 

時としてNOという事が非行に思われたり、なんなんだと思われることもあるでしょう。

 

それが出来ない人は変な所でNOを連発しているだけです。

 

NOと言うべきところでNOと言える。

 

それが正直者の生き方であり、姑息な真面目とは大きく違うところです。

 

私は正直でありたいです。

 

不真面目でも私が機嫌よく生きられればそれでよいのです。

 

自分の面倒はちゃんと面倒見るので人に八つ当たりはしません。

 

それが正直者の生き方です。

 

真面目な日本人はネットで意味の分からない嘲笑や煽りが多く、その民度の低さは最近では海外でも有名になっています。

 

真面目さという光の部分だけにスポットを当ててきましたが最近になって真面目さのダークな部分に気付き始めてる人は多いのではないかと思います。

 

あれこれ何でも禁止する親は仕事と生存以外の一切何もしてはいけない。

 

子供のスマホ取り上げたりテレビやゲームから漫画などあらゆるものを禁止する親がいます。

 

彼らはもはや猿として生きた方がいいのかもしれません。

 

人類は新しいものに触れてその新しい分野から更に展開していくことで成長を続けてきました。

 

その人類の進化をやめさせようとしているのですからサル山にでも行って古典的な生活をした方が良いでしょうと親切からそういってます。

 

昔なんて読書はバカになると言われてましたよ。

 

今では読書は賢い人が読む高尚なものとされてますが、スマホなんてもっと高尚なものではないですか。

 

多くの人がスマホを求めて夢中になっているのにスマホを禁止させたら今どき何をするのでしょうか?

 

何もしないって一番あほらしいと思いません?

 

私は世の中の一切の文明から離れた生活してる坊さんの話を聞いた事ありますが、文明から離れた人の意見というのはどこか老害っぽく聞こえるものです。

 

素晴らしい人はいますが一部でそういった頑固おやじがいるのです。

 

頑固おやじは恐らく文明社会では社会に対する文句でも言いながら大した仕事をしていないでしょう。

 

機械を使って要領よくやってる時代に横で手作りでコツコツやってたってせいぜい生きるので精いっぱいです。

 

例えば勉強というのもそんなもんです。

 

勉強は役に立ちません。

 

身に付くのは従順であることで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

教養だなんて身に付くはずもないのだから一流大学に入っても一部のどうしようもない事件を勘違いしたバカが起こして問題になっているのです。

 

そりゃあ、産業革命時代の誰でも出来るような仕事をおとなしくさせる為にやってただけのマインドコントロールを今の時代でも強要しているのですから賢い人はみんなバカらしいと思ってます。

 

それでも苦行が好きな人がいるようにそういう世界が好きな人だけが勉強すべきなのです。

 

勉強したってそこまで頭良くなりません。

 

そんな薄っぺらい紙をダラダラ何時間も考える暇あったら本でも漫画でもテレビでもなんでもいいから知識を沢山詰め込め。

 

私は月に百冊の本を読みますが、それと比べて勉強のペースなんてばからしいです。

 

いったい何が得られるの?

 

もはや数学の公式なんて殆ど覚えてません。

 

ただし、好きで身に付けた知識は何かと触れる機会がある為、半永久的に役に立ちます。

 

私は好きな事やってかなり人生が豊かになりました。

 

逆に、勉強の強要によってどれだけ私の人格が歪んで無気力になったのだろう。

 

私は絶対に一流企業の忙しい競争社会の為に勉強したいとは思いません。

 

競争が好きな人が熱中すればよいのです。

 

競争が好きでその良さが分かる人なら、それを見た子供も勝手に勉強するでしょう。

 

勉強できる親の子供は勉強が出来る傾向にありますが、不思議な事に強要しなくても勝手に子供がするそうです。

 

親のマネしてるだけなんですけどね。

 

親本人が出来ないなら絶対にする訳ないと思ったほうがいいんです。

 

やらせようとすればするほどダメになるのが人間ですから子供は親の能力以上に育てる事は出来ないという事です。

 

どうせつまらなそうな顔をしているのでしょうね。

 

子供にとっての一番の教育とは親がどれだけ幸せそうにできるのか、それだけです。

 

許さなくてもいい!?賢く円滑に世の中を生き抜く具体的な行動。

 

人は許すべきだとか聖人ならそう言いそうですよね。

 

私は聖人ではありませんので人の事なんて自分の二の次だと考えてます。

 

勿論人を許すのは自分の為でもあるだとかそういった面もあると思いますが基本的には許すべからずとして振舞わなければ潰されるのが世の中です。

 

似非スピリチュアルとか糞くらえと思ってますので正直に言います。

 

やられたらやり返す。

 

倍返しだ!

 

というのは嘘です。

 

めんどくさかったら、あるいは賢く振舞いたいのならゲーム理論で言われている三分の二理論を使いましょう。

 

もはや行動を機械化してしまうわけです。

 

というのは、人が最も利益を得られる立ち振る舞いというのが三分の二の確率でやり返すという方法です。

 

もっと平和な方法もあるんじゃない?

 

そう思われる方には現実を教えます。

 

人には理性ではなく、本能に根付いてあり得ないような猿と同じような行動を取る事が多く確認されています。

 

例えば猿は怪我をしていたり、障害を持った猿がいれば子供でも容赦なく攻撃を仕掛けます。

 

やり返さないと分かってるからです。

 

やり返さない動物は徹底的にいじめ抜かれる。

 

これは動物、人間の真理です。

 

有害な人からは近づかないで逃げるのが一番ですけどね。

 

エスだってあれだけ聖人を尽くしたのにやられるだけ裏切りに合ってやられてましたよね。

 

私は人間は悪です。

 

と言いたいのではありません。

 

あくまでもこういう仕組みなんですと。

 

DVを受ける人の特徴というのはやり返さない人だそうです。

 

やり返す人に危害を加えたい人はいません。

 

DVする人は頭が真っ白になってるというのは嘘です。

 

ちゃんと「ここまでなら大丈夫だな」と計算してどこまでなら許されるかを知っていて手を出しています。

 

優しくて損する人はこの仕組みが分かってません。

 

優しいから許してくれるだろうなどと思われたら最悪ですよ。

 

厳しく「シャーーーーーーー!!!!」と俊敏な猫パンチ出来る位でないと後々面倒です。

 

親切と同調圧力について。

 

貴方は親切な人でしょうか?

 

親切とは一体何でしょう?

 

調べてみたら、

 

 好意をもって人のためにあれこれと計ってやること。

 

 との事。

 

では、最近した親切について考えてください。

 

いくつありました?

 

その親切には好意を持ってあれこれ計りましたか?

 

そう考えると親切ってかなりハードル高く聞こえますね。

 

例えば日本は犯罪がとても少ない国です。

 

ただ、犯罪したらどうなるでしょうか?

 

自分だけでなく、家族や周囲の人間に迷惑をかけますよね。

メディアでは失敗した人を叩くのが大好きですし、犯罪者の関係者なんて問答無用にいい獲物です。

 

日本でニュースになった犯罪者の家には殺害予告が届くそうです。

 

対してアメリカでは逆に親に対する励ましの手紙が届くそうです。

 

親の精神面を考えての事でしょう。

 

それのどちらが良いのかという話ではないですが、確実に日本では悪さ=社会的の死に繋がるイメージがあります。

 

するとなかなか悪さできませんよね。

 

国全体が村八分みたいな文化です。

 

お互いに監視し合っているのです。

 

ただし、最近の老人は若者以上にお客様気質でのマナーの悪さが目立ちます。

 

若者も電車で老人が立っていても席を譲らない人が多いそうです。

 

外国のある国ではお年寄りがいれば労わって席を譲る人が多く、老人は年を取るほど穏やかで器が大きいです。

 

また、店員にはありがとうと言います。

 

それを出来ないのはなぜでしょうか?

 

私は人に親切をすると舐めた態度を取る人がいます。

 

そういう人には厳しく接してよいと思いますが、そもそも嫌な思いするリスクを考えると行動しないほうが良いと思う人が多いのではないでしょうか?

 

日本人は遺伝子からリスクをとても恐れる人種です。

 

リスクを無視して行動できる人が少ないのは良かれ悪かれ治安は良いが、心地よいとはっきり言うには少し考えてしまいます。

 

レベルの低い人からは離れよう。

 

レベルというのは伝染します。

 

という事は近くにレベルが高い人に囲まれているだけでも引っ張られます。

 

低い人も同じように引っ張られます。

 

貴方のレベルは関わる周囲の人間の平均値だと思われているでしょう。

 

これは正しいです。

 

レベルの低い人間と関わっても良い事はありません。

 

決して同情してもいけません。

 

あらゆる方法であなたを引っ張ろうとしますが低い方へは流れないようにしてください。

 

レベルの低い人は人によっては一見良い人に見えるので厄介です。

 

貴方に依存を求めています。

 

彼らは人に干渉するのが大好きです。

 

断ち切って下さい。

 

ひたすら切り捨てるのは辛いかもしれませんが切り捨てる事によって本物が見えてきます。