より良く生きる

オナ禁など禁欲生活をしています。事の本質を見極めてどうすれば人は心地よくいられるのかそんな事を考えてます。

恋愛に駆け引きは必要ない。必要なのは相手との意思疎通。

自分には恋愛の駆け引きとか浮気とか不倫が全く現実の出来事として入ってこなくて不思議です。

何故なのかというと合理的に考えたらそれは至極無駄な事だからです。

 

相手が何を考えてるのか?→聞けばいいじゃない。

 

好きな人が出来た。→話し合って別れればいいじゃない。

 

彼が振り向いてくれない。→とりあえず声かけようよ。

 

これだけなのに童貞の僕にはさっぱりドロドロとした恋愛が分かりませんね。

スマートでさっぱりしてたほうがカッコいいと思うんだよな。

 

 

なぜこんな書き込みをしたのかと言いますととある女性から駆け引きをされたからです。

その駆け引きというのは男をちらつかせるという悪魔の方法ですね。

そこで自分は思いました。

(自分に気があると思ってたが思わせぶりだったんかい!)

(なんか冷めたわ、ていうかショックで一~二年は立ち直れないわ)

純な童貞に影が差しました。

一言いいますが、一度信用を無くしたら二度と取り繕えません。

真面目な僕は一途なので信用を失った相手との先を考えます。

結論出ました。

彼女はとても美人で美しい方でしたが、「どんなに顔良くても信用できない人間は無理」

となりました。

この決断出した後の今でもずっと苦しんでうつになりましたが彼女を許してもパートナーとしてはなんと言おうが認められません。

僕がもし遊び人であったとしても彼女は本命にしませんし人間的感情は持ち合わせないでしょう。

世には多くの恋愛本に駆け引きが載ってますが風俗の客引きでもしたいのかと首をかしげてしまいます。

基本的に賢い男性に対しての駆け引きは見透かされるだけで馬鹿という軽蔑の烙印を押されて逃げられるだけです。

素直にコミュニケーションが取れていれば何も問題ない事なのです。

 

僕のいる世界はとても小さい

分かったようで何もわかっていない。

これはどんな天才にでもいえる一つの真理だと言える。

周囲を大きく眺められる人はその一つ一つの細かいところまで見ることはできないし、一つの事には他の追随を許さないなんて人はその他の事には全く目が届いていなかったりする。

頭のいい人は一つ一つの事を正確に捉えることが出来るけど同時に盲点が多いらしい。

これは上記した内容を裏付けている。

 

何でも分かった気でいる人は自分を小さい箱の中に閉じ込めている。

彼にとっての世界とは自分の部屋の中で、家の外の世界は偽物だと言っているようなものだ。

外に出るのが怖いのだろう。

家の外にはいろんな人がいるがその多くは理解不能だ。

一つ一つ調べてもきりがないし、インタビューしようものならノリのいい大阪人はともかく東京の人間からは相手にされない可能性も大きい。

そもそも何を聞くというのだろう?

「あなたは何のために生きていますか?」

とでもやっと捕まえた人間に聞いたら回答が返ってくるとも限らない。

それにもし回答が返ってきたとしよう。

「おいしいものを食べるために生きてます」

 

ときたらその人間はおいしい物を食べてないときは生きる意味などないのだろうか?

ますますわからない。

こんな小さな事すら正確に把握できないのに人間には何が分かるのだろう?

真理とは無なのだ。

そう悟った気でいる人間は無というものを誰よりも知っているのか?

その人の体はいま誰にでも見えるはずだがきっとこう答える。

この体は入れ物で本体は魂なんだ。

では魂は存在するのか?

存在しているならそれは無ではないしなおさら生身の体だけの人間は無ではないのではないかとなる。

こうやって屁理屈こねてると自分は誰よりも知った気でいる人間に対してより上にいる物知りのような気がしてならない高揚感が得られるが、俺は何を知っている?

何も知ってはいない。

おかしいな。

人に戯れてばかりいる人間よりなんだか科学者とか数学者のほうが高尚な気がするけど、人によっては頭が固そうな知識人を下に見ている人がいないとも言えない。

どうやっても本当の意味で人の上に立てる気がしない。

雑魚は戯れるのが動物の真理だが、人間の場合、組織は強い。

いくら強い人でも固まった雑魚相手に歯が立たない事が多い。

そもそも相手にしないのだが。

けど確実に人に階級を感じる事はある。

人望、知恵、身体能力、体格、オーラ(雰囲気)など目に見える形でそれを実感するそれなりに同じ認識を他の人間も持っている。

どうやって折り合いを付ければよいのか分からなくなる。

見えている強さにくじけそうになった時に人間は想像力を駆り立てて妄想に逃げるという考えもできる。

しかしながら実際に目に見えるだけが強さでない。

分からないものを求め続けるのが暇を持て余した人類に与えられた生きる意味なのだととりあえずそういうことにしている。

 

反応しないで生きよう。

反応することが自らに災いを起こしているのではないかとそんなことを思う年頃になりました。

大きくて強い事を自覚している動物ほど態度もずっしりと構えていちいち小さなことに反応しないものです。

チワワなんか小さい小動物もちょこちょこ動き回って過激に反応する姿は可愛らしいですがそれは小動物であるからです。

 

世の中人間の意識に働きかけようとする宣伝とか洗脳レベルで溢れかえってるくらいでその全てを処理することはできませんから何かに囚われるというのは無意味な事なのでしょう。

次から次へとうざったくなりさらにイライラばかりしてしまっては損です。

自分のやるべきことに焦点を絞ってしまえば他の現象を気に掛ける必要性はありません。

水のように歯向かわずに受け流してしまえばいいのです。

いくら衝撃を与えても水は一定の型を持たないのでどのようにでも変幻自在です。

壊れるという概念は存在しません。

 

夢の世界

夢の世界というのはとても魅力的で儚い。

その味わいは強烈であるが儚いからこそ意味があるのかもしれないと思う。

強烈が続くと疲れてしまう。

 

だからこそ記憶から多くの場合に消え去ってしまう夢には願望を抱いてしまう。

事実、夢には甘味でいつまでもそこにいたいと思わせるような引き寄せられる味わいを感じられる事もある。

その逆バイオレンスで命すら危ぶまれるスリルで済まされない刺激の強いものもある。

どちらも現実で描くよりも不思議の国のアリスで幻想的なのは間違いない

それらが示しているのは何であろうか?

個人的な解釈となってしまうがその強烈なインパクトは人間に新たな視点を与えてくれる。

例えば登場人物は知り合いであることが多い。

だからこそ少数の異分子(他人)にも大いに興味をそそられる。

夢が知り合いの場合、それが見せる姿は現実に見せない甘味や狂気を孕む

それをうまく表現して100%を芸術に生かせたらそれはどんな作品よりも優れた傑作を生みだすことだって難しくないとすら考えるがそれが出来ないのだ。

再現には限界がある。

その同じ体験を物として伝えようとした瞬間にそのものが持つ大切な何か大半の事が今までに存在しなかったかのように消え去ってしまう。

それ故夢とはとても貴重な体験である。

 

メディアを支配する存在。

世の中は金で動いている。
メディアだってそうだ。
お金が絡んだ瞬間にそれは公平ではなく、一部の権力者のための意図を持った洗脳手段になる。
メディアで力を持つ存在とは何か?

 

広告代理店である。
広告代理店は広告を管理してメディアに提供する。
広告がなければお金を稼げない。
これがもし、広告を提供しないぞとでも脅しをかけたらどうなるだろうか?
広告がなければ経営ができない。
こうなってしまえば言いなりになるしかないのだ。
中でも大きな力を持つのが電通だ。
広告代理店の半数は電通によって賄われている。
メディアの実権は電通が握っているとも言える。
なのでメディアとして電通に逆らうような報道はできない。
また、過去にnhkが安倍首相から報道について干渉を受けた事があると言っている。
メディアは政治の道具としても利用される事が垣間見れる。
それは国内に限らず、アメリカが多額の金額を提供して報道を操作したこともあった。
何が行われているのかマスコミを通して不都合な事実は流れないのかもしれない。

なのでこの情報ももしかしたら消される可能性がある。

 

子供を成長させる為には安心を与える。

人は何かに挑戦するときには不安が生じます。

その不安に立ち向かう力というのは家族や仲間から培われる安心です。
と言う事はネグレクトや過干渉など子供の不安を与える行為はとても悪影響なのです。 子供の歩幅に合わせてマイペースに子供の不安を取り除いてあげる事が子供自身から多くの挑戦する力を引き出して結果的にどんな形であれ成長を促します。
  何がともあれ挑戦しないことには始まりませんし、その子の適性だって分かりません。
数学者やスポーツ選手だってやってみない事にはその人に向いているのかなんて分からないのです。
一番やってはいけないのは子供に親の願望を背負わせてあれこれ押し付けることです。
それは子供から好奇心を奪い、不安ばかり増幅させるばかりです。
その末路というのは不登校だったり、ニートであったり無気力な人間を生み出します。
人との信頼関係やそれから得られる安心というのは一見、勉強など人の成長には関係なさそうに思えるかもしれませんが実はそれは人の成長に大きく関わっているのです。
ちなみに猿の脳みその大きさは毛づくろいする猿の数に比例します。
人間も同様に豊かな人間関係というのは豊かな知識や知恵を生み出すのかもしれません。
何よりも生まれてきた以上は心豊かに生きたいですね。

 

 

 

殆ど働かなくても十分に趣味に没頭できる。

まず、消費しなければ作らなくていい。

例えば最近小説で賞を取った芸人のピース又吉だけど彼はとても質素で古着屋好きで外にあるものを拾って使用したりもしている。

三万の物件を共同トイレ掃除という条件つけて二万円台で生活してたそうだ。

月二万円台でまず寝泊まりできる場が確保できる事が驚きだが、それだけの金額なら月に2〜3日ガッツリ働くだけで事足りてしまう。

そしたらあとの金額は全て食費や趣味に使える。

 

食費だが、働きたくない人間はその時間で自炊でもしたらどうかと思う。

大食いの人間で一日に平均3000円消費する人がいたとする。

彼が月に消費する食費はそれだけでざっと10万ほどだろう。

場合によってはそれが支出の大半になる。

例えばファミリーレストランでは原価は大体3割だと思ったらいい。

ファミレスで働いていたことがあるが、中には食材を選べば一割程で作れてしまうなんて料理も存在する。

これは極端な話だが、1000円の物は自炊で300円程で作れてしまう。

月に10万の支出がある人は3万に抑えられ、それだけで7万も浮いてしまうのだ。

またドリンクもしかり、自販機は意外と侮れない。

水筒を持ち歩くだけでその日の出費をそれなりに抑えられたりする。

使わないのを意識して定着させる事ができればお金を使用しないという感覚に不自由しなくなる。

次に上級者向けの話だが、少食と言うものがある。

これは以外にも体にいい。

筆者は一日に1食だけで生活してた事があるが体がとても軽いのだ。

自炊で済ませば月の食費を1万で抑えるのも難しくない。

 

他にも節約としてシャワーを水洗いで簡単に済ましてしまうとか。

これは不潔に思われるかもしれないが毎日シャンプーを使用して体を洗うのは過剰であり、人間の表面に住み着いている微生物(病気から身を守る)を殺してしまう。

ある学者は体を洗う頻度は週2回ほどでいいと言う。

お坊さんは4、9日と言って4と9のつく日にしか体を洗わないという程なのだから。

福山雅治は髪の毛をあえて水洗いで済ましてシャンプーは数日おきらしい。

これは髪の毛を綺麗に保つ方法として有効的で、それによってシャンプーを毎日使用してた人が髪質が以前より良くなったりするそうだ。

ただ、これらは体臭のある人には抵抗があると思うのでベジタリアン実践者におすすめしたい。

この様なミニマリスト(最低限に生きる人)が身につけば生活費月5万ほどで都市部にだって住むのも夢ではない気がする。

月5万を稼ぐには時給千円で50時間。

30日で割ると一日に1〜2時間だ。

時間が有り余ってるだろう?

自由に割り振ってそこから必要分だけ働く時間を加算して趣味にでも割り振ればいい。

貯金なんて考えてないか?

使わない金に意味はないだろうし、将来仕事をやめてセカンドライフというのも持て余しすぎてしまうのではないかと思う。

持て余した生活というのは言うほど心地よいものなのか考えてほしい。

年中忙しい夏休みは貴重に感じるかもしれないがそれが何年も何十年も続いたらどうするんだ?

目的をなくして雑念ばかり湧いてくる可能性もある。

程よく働いて程よく生活する。

これは一つの方法として提案してみたのだがどんな選択をするのかはあなた次第だ。